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文久2年1月19日津和野藩(島根県)の典医の長男として生まれました。(本名:森林太郎)
明治5年に上京、19歳で東京大学医学部を卒業しました。明治14年12月に陸軍に入り、明治17年から明治21年まで衛生学研究の為ドイツ留学を命ぜられ、留学中の体験は後に「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」のドイツ3部作といわれる作品に結実しました。
明治25年に今の鷗外記念本郷図書館の場所に移り住み、数々の名作を生み出すとともに明治40年から観潮楼歌会を催し、佐々木信綱、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、北原白秋、吉井勇、
そして若い石川啄木などが参加しました。
鷗外は陸軍総監に就任し、多忙となった為、歌会は明治43年4月が最後となりました。
大正5年陸軍を退役しましたが、翌大正6年に帝国博物館長兼図書頭に命ぜられ、大正11年7月9日に観潮楼で亡くなりました。享年60歳。(鷗外記念本郷図書館:森鷗外資料より) |
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森鷗外の観潮楼跡 |
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鷗外は明治25年(1892)通称猫の家から駒込千駄木町21番地(現・文京区千駄木1-23-4・鷗外記念本郷図書館の場所)に移りすみました。
この地は本郷台地の東端にあり、谷中、上野山及びはるか東京湾の潮路も眺められたといわれ、鷗外は「観潮楼」と名付けました。
ここで、「即興詩人」「ヰタ・セクスアリス」「青年」「雁」「阿部一族」「山椒大夫」「渋江抽斎」などの代表作を次々に発表しました。(鷗外記念本郷図書館:森鷗外資料より) |
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※案内板の写真をクリックすると、拡大して
読むことが出来ます。 |
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森鷗外の住まい
「観潮楼」
(鷗外記念本郷図書館 外壁の写真) |
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”…彼小家の前に立って望めば、右手に上野の山の端が見え、此の端と忍岡との間がかつ然として開けて、そこは遠く地平線に接する人家の海である。
今のわたくしの家の楼上から、濱離宮の立木の上を走る品川沖の白帆の見えるのは、此方角である。”
森鷗外著 「細木香以」
(鷗外本郷記念図書館 外壁写真下の案内板より)
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文京区立鷗外記念本郷図書館 |
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三人冗語の石
(鷗外記念本郷図書館 外壁の写真) |
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雑誌「めざまし草」で、新作批評”三人冗語”を担当していた三人(森鷗外・幸田露伴・斉藤緑雨)が、この石の前で写真を撮った事から、この名が付きました。
この”三人冗語”で鷗外が樋口一葉の「たけくらべ」を激賞したのは、有名です。
(鷗外本郷記念図書館 外壁写真下の案内板より) |
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現在の三人冗語の石
(鷗外記念本郷図書館の庭> |
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